ゆかりの地 都道府県検索 温泉特集 おすすめホテル・旅館(随時作成中) NEW戦国関連書籍
山梨ビデオ制作

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

羽柴秀吉が、石田三成・千利休を従えて有馬に湯治(今日は何の日)

9月14日 天正13年(1585)

天正13年(1585)というと・・・
その3年前、本能寺で織田信長が討たれ、羽柴秀吉は謀反を起こした明智光秀を山崎の戦いで敗走させると、翌年、信長継承問題で対抗する柴田勝家を賤ヶ岳の戦で破ります。さらに天正12年には、小牧・長久手の戦いで、織田信勝と徳川家康を配下にすることに成功。
羽柴秀吉は、実質的な天下人となっていました。
そして大坂城を築城して居城とし、天正13年7月11日には、人臣の最高位である「関白」となります。さらに9月9日、朝廷より、「豊臣姓」を下賜されます。

その5日後のことです。 
9月14日 羽柴秀吉、治部少輔・仁右衛門・紀介・抛筌斎・施薬院全宗・今井宗久・今井宗薫ら側近を随行させ摂津国有馬に湯治。

「治部少輔」とは石田三成、「仁右衛門」とは増田長盛。「紀介」とは大谷吉継、「抛筌斎」は千利休のことです。

秀吉はこの前年くらいから頻繁に有馬に湯治のため訪れています。体調が思わしくなかったのでしょうか?
しかし、これだけ多くの側近を連れての湯治は珍しく、関白になったことのお祝いも兼ねていたのかもしれませんね。

ちなみにその年の2月5日には、ねね(北政所)が、有馬湯山に薬師堂建立(再建)のため、1500貫と地料として100石を寄進しています。妻として秀吉を陰で支えていた様子がちょっと分かりますね。

 


1クックで1票、応援お願いいたします。
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

こちらもポチっとお願いします。とても励みになります。

スポンサーサイト

テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 羽柴秀吉 ねね 千利休 温泉 逸話 兵庫県 石田三成

明智光秀、赤井忠家の丹波国黒井城を攻略し、丹波国平定(今日は何の日)

一日遅れですが・・・

8月9日 天正7年(1579)

明智光秀、赤井忠家の丹波国黒井城を攻略し、丹波国平定。



この日から遡ること3年前・・・ 
天正4年、織田信長は、当時最大の敵だった上杉謙信の南下を阻止するのに極めて重要な位置となる近江国・琵琶湖湖畔に、天下布武の象徴、安土城築城を開始します。
しかしその頃、同時に反信長の動きが強まり始め、上杉謙信を盟主として石山本願寺、毛利輝元らで信長包囲網が形成されます。
この年(天正4年)、明智光秀は織田信長の命により、総大将として丹波国征討のため出陣。しかし、「丹波の赤鬼」の異名を持つ荻野直正のいる黒井城を攻めますが大敗を喫し、一時、坂本城に戻ります。

翌年の天正5年、第二次丹波国征討戦が開始されます。

天正6年、上杉謙信が急死すると、信長包囲網は崩壊。 
すると信長は、能登国・加賀国を奪い、越中にも侵攻する勢いを見せます。 

鉄甲船を建造し毛利水軍を撃破。これにより石山本願寺は毛利軍の援助を受けられず孤立。このころから織田軍は優位に立ちます。

前回と同じく丹波征討の総大将として指揮を執っていた明智光秀は、丹波の籾井城・亀山城を落し、黒井城を目指します

そしてこの時、「丹波の赤鬼」荻野直正が病死。 
明智光秀は、動揺が走る丹波の支城を次から次へと落していきます。 

翌天正7年
黒井城周辺の支城をすべて抑え、黒井城を孤立無援の状態にしてから、誘導作戦も巧みに使い攻めました。 
そしてついに黒井城は落城します。天正7年8月9日のことでした。 
落城後の黒井城には斉藤利三が入りました。
この戦いで事実上、丹波国征討戦は終了したといいます。 

しかし、この3年後の天正10年、信長も光秀もこの世を去ってしまうのです。 

ゆかりの地・史跡
黒井城 兵庫県丹波市春日町黒井 
国指定史跡 
周囲約8kmの猪ノ口山(365m)全体が巨大な要塞になっていて山中いたる所に防禦施設の曲輪跡、土塁、縦堀、空掘がそのままの姿で残っています。

興禅寺 兵庫県丹波市春日町黒井2263 
明智光秀の家臣・斎藤利三が黒井城の落城後に入り、此処を下館とした陣屋跡です。 
斉藤利三の末娘・春日局(お福)が生まれた屋敷として有名です。 
お福はここで3歳まで過ごしているといいます。
境内にはお福が生まれた時に産湯に使われたという「お福の産湯井戸」や、幼少の頃、腰かけて遊んだといわれる「お福の腰かけ石」が残っています。 
水をたたえた七軒堀や高い石垣・白壁など、当時の下館の様子をよく残すものとして、国の史跡に指定されています。 

また黒井城の城下町は、今でも坂や細い道が交錯している様子が見られ、当時の面影を残しています。 

丹波に観光・旅行の際はこちらがお得!




ポチっとお願いします。とても励みになります。

テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 明智光秀 織田信長 赤井忠家 兵庫県

播磨国神吉城が羽柴秀吉らにより落城(今日は何の日)

7月20日 天正6年1578年

播磨国神吉城が羽柴秀吉らにより陥落。


秀吉・信忠らは、信長に中国地方攻略を命ぜられ播磨国に進軍。 播磨国神吉城城主・神吉頼定(かんき よりさだ)は兵約二千人で籠城。 対する秀吉・信忠勢は明智光秀、荒木村重ら約三万人。
秀吉勢は頼定の伯父神吉藤太夫を謀略で味方に引き入れ、頼定を暗殺。 神吉城は落城した。 (『多聞院日記』) (『信長記』には、天正6年7月16日落城とある)

 

中国地方への旅行は、お得なコチラから
 

豊臣秀吉ゆかりの地・史跡

神吉(かんき)城 (別名 真名井城)

兵庫県加古川市東神吉町神吉1413
神吉城があった場所には、現在、常楽寺が建っています。 また境内には、神吉頼定のお墓があります。


テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 羽柴秀吉 兵庫県

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。