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前田慶次 【味覚の秋にピッタリのイベント!】

インテリ婆娑羅!前田慶次 

米澤前田慶次の会主催「月見の会」 
開催日 2009年9月27日(日) 

前日の9月26日(土)は午後6時から松川河川敷で
「夜の川中島」のイベントが行われます。 
米沢へ1泊して、翌日前田慶次と月を見ながら
「米沢名物いも煮会」なんてどうですか。
 

 会費は、1名3,000円です。
 HPから御申込み下さい。米澤前田慶次の会HPはこちら
 米澤前田慶次の会

 締切は9月14日(月)までです。
 

 午後13時30分 堂森善光寺集合
 午後14時30分 前田慶次供養塔前で供養、読経、焼香
 午後15時    道中日記解説の講演
 午後16時    月見の宴(いも煮会)イベント企画募集中
( 米澤前田慶次の会H.Pより )

◆前日に行われる一大イベント“夜の川中島合戦”
なかなか見ごたえがありそうですね!
上杉戦国絵巻夜の陣

直江兼続に惚れて上杉家に仕えた慶次ですが、
初目見えの際に持参したのが“大根三本” 

「この大根のように見かけはむさ苦しいが、
 噛めば噛むほどいい味がでる拙者でござる」

と、真顔で言ったそうですね…
これをヘラヘラしながら言ったら軽~く見られそうです。
表情も言葉以上に人の心を動かす、彼の“武器”
だったのかもしれません。

 

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Tag : 前田慶次 山形県 川中島の合戦 祭り 逸話 名言

織田四天王・滝川一益 逝く (今日は何の日)

9月9日 天正14年(1586)
 
滝川一益は、近江甲賀の出身で、浪人中を織田信長に拾われたと伝わります。
武功によって出世し、織田四天王にまでのぼりつめた織田家中の重鎮で、豪放磊落な武将として知られています。
その戦いぶりも勇猛で、先鋒でも殿でも、一益に任せておけば安心だと信長にほめちぎられました。
 
永禄12年(1569)伊勢北畠氏の攻略や、天正2年(1579)伊勢長島一向一揆征伐での武功を認められ、長島城と北伊勢などの支配権を与えられました。
この頃には、宿老として名を連ねるまでに出世しています。
 
天正10年(1582)には、甲斐武田の征伐を企画、一益自身も軍監として出陣し、武田勝頼を天目山に追いつめ討ち取り、関東管領の栄職につきます。
 
しかし、本能寺の変後の北条氏との神流川の戦いで大敗。滝川軍1万8千、北条軍5万が激突したこの戦は、戦国史上、関東で最大の戦といわれ、滝川軍は3,760名もの死者を出しました。
さらに羽柴秀吉との織田家後継者争いにも敗れ、剃髪し越前大野に蟄居します。
 
そして越前の小さな所領で、晩年を穏やかに過ごし、
天正14年の9月9日、亡くなりました。享年62。
 
関東管領として上野の厩橋城に住んでいたときのこと。
山で鶴と雀を見つけた一益は、しばらく眺めたあと、静かに近臣にこう言ったといいます。
【滝川一益 名言】
『我らが昼夜の心遣い察して見よ。汝らは鶴を羨まず、雀の楽しみを候え』。
(鶴は、我ら大名のように常に周囲を警戒しながら餌を食べ、寸部の油断もない。大名はわずかの間も気楽に過ごすことはできない。それに比べて、雀は人がいても平気で餌を食い、仲間同士で遊んでいる。お前たちは雀の楽しみを味わうが良い)
 
大名としての生活に疲れていたのでしょうか。
織田四天王にまでのぼりつめた一益の言葉。その立場になってみなければ言うことができません。そう、その立場になってみなければ・・・!
 
 
今週特集している前田慶次は、一益の甥っ子とも実子とも言われています。
(加賀藩史料)
 
ゆかりの地・史跡
厩橋城(前橋城) 群馬県前橋市大手町1丁目 
石垣、土塁、堀などの一部が現存します。
 
滝川一益墓所
高野山金剛峯寺 和歌山県伊都郡高野町高野山132
信楽寺 島根県松江市竪町88
妙心寺 京都府京都市右京区花園妙心寺町64


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Tag : 織田信長 滝川一益 前田慶次 逸話 名言 群馬県 島根県 京都府

前田慶次 天下御免の供養塔!

インテリ婆娑羅!前田慶次 

出羽之国「堂森善光寺」にて
毎月4日に前田慶次郎月命日供養
米沢善光寺 
前田慶次が埋葬されたと伝えられる善光寺では
彼の御霊を祀る供養塔が建立されています。
~碑文(部分)~
慶長五年、最上討伐には直江と共に出陣、
大いに戦い殿軍をつとめ完全撤退を果たして、
戦史に名を留めた。後、この地堂森に居を賜り、
邸を無苦庵とよび悠々自適この地を愛し郷民と親しみ、
慶長十七年六月四日七十歳の生涯を閉じた。


◆善光寺境内には慶次が力試しをした際に持ち上げた
「慶次の力石」があります。史実では60歳を超える
年齢…。無茶してますねー、慶次殿!
本堂内では、かなり「慶次グッズ」が充実、
モバイルサイトでは「善光寺限定・慶次郎殿待受け画像」の
プレゼントも実施中ですよ!
http://www.doumorizenkoji.com/mobile.html

【前田慶次 名言】

◆慶次が米沢に来る前、諸大名から「高禄(高給)で召し抱えたい」と
かなりの誘いがあったそうですが、彼はこれを断りました。 
「たとえ大大名たりとも、心のままにならなければ、
            卑しい男となんら変わりはない」
 
 地位や金はどうでもいい…これが“慶次流”だったらしいです。
 すがすがしいお言葉、ありがとうございます。



前田慶次ゆかりの地・史跡

米沢堂森善光寺 山形県米沢市万世町堂森山下375 電話:0238-28-1638



    


米沢のホテル情報も、もちろん満載です!

 

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Tag : 前田慶次 逸話 名言 山形県

インテリ婆娑羅!前田慶次 【秋の米沢「前田慶次展」のお知らせ!】

今週は、前田慶次に関する最新情報とともに名言や逸話を特集します。

前田慶次展 

前田慶次展

宮坂考古館(山形県米沢市)

開催日:平成21年9月1日(火)~11月3日(火) 

直江兼続を支えた、天下御免の傾寄者(かぶきもの)
前田慶次展開催中!

◇花の慶次リトグラフ展同時開催!
◇企画展示品
 道中日記、堂森秋月図、上田士籍(上杉文書)
 (上記3点は、9/19(土)~10/18(日)まで
 甲冑、槍、面ほか

( 
米沢観光物産協会公式H.Pより )

◆前田慶次が晩年を過ごし骨を埋めた地・米沢は、
「天地人」効果もあって、かなり盛り上がってる
みたいです。
さんざん無茶した若い頃に比べ、米沢時代は
「無苦庵」で風流を愛して過ごす“静”の面が
顔を出します。
関ヶ原の戦いの直後、前田慶次が伏見から米沢に
向かう際に綴った「道中日記」には、こんな歌が
記されていました。
 

誰ひとり浮世の旅をのがるべき
             のぼれば下る逢坂の関

◆街道の山越えの苦難は、誰ひとりとして逃れられない
人生の“苦しみ”や“悲しみ”みたいなもんだ…
っていう感じですかね。
考えさせられる永遠のテーマなんですね~。
個人的には、「誰ひとり」ってところが響きます。



米沢天地人博2009ほか東北縦断のツアーはこちら↓↓↓


 

 

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Tag : 前田慶次 名言 逸話 山形県

毛利元就 人心掌握術と名言

今週特集してきた毛利元就の逸話です。
 
元亀元年、毛利軍が尼子討伐のために出雲へ出陣していたときのこと。
毛利元就の陣中で岩木源六郎道忠が膝を矢で射られ、矢尻が抜けずに苦しんでいました。
医者を呼んで診せたところ、「膝を切らなければ治らない」といいます。
道忠は真っ青になりました。
 
しかし毛利元就はこの医者を叱って退けてしまいます。
そして元就は道忠の傷口にかぶりつき、傷口を吸いはじめたのです。そして膿と一緒に、矢尻まで吸い取ってしまったのです。
 
道忠は、この元就の行為に驚き、「死して恩に報ぜんとする志」が顔色に顕われ、感涙にむせんだといいます。
 
道忠のこの様子を見ての、元就の名言です。
「厚き恩信を思はゞ大勇の者にあらず」
(恩に報いて、死を持って・・・などと思うのならば、大いなる勇者ではない)

と、道忠を深く誡めたといいます。
 
家族や渡辺通をはじめとする家臣たちが目の前で死んでゆく姿を見てきた元就だからこその言葉かもしれません。


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Tag : 毛利元就 名言 逸話

中国地方の覇者 毛利元就の真実【“自己管理”が最大の武器!】

◆前回に引き続き、山口県ネタです。
防府市の「毛利博物館」と合わせて訪れてみると
いいかもしれませんね。

住吉神社(山口県下関市)

河渡祭(かわたりさい) 
開催日:平成21年12月1日(火)

この祭りは、
石見国江川で毛利氏と尼子氏が戦ったとき, 
毛利元就は全軍に神酒を与え,田作りと餅粥をふるまって, 
その勢いでいっきに奇襲して江川を渡ることに成功した、

という古事に始まり,現在では大きな釜に餅粥を炊いて 
一般参拝客にふるまっている。
( 山口県観光情報より )


◆前回のエピソードに出てきた“餅”がまた出ましたね。(笑)
ちなみに元就自身は、ほとんどを口にしなかったそうです。
というのも祖父・父・兄がいずれも酒害がもとで
早くして亡くなっていたからだそうで、晩年こんな言葉を
残しています。 

「酒さえ飲まなかったならば、 
人は七十、八十までは生きられる」
 
志ある者の自己管理を、身をもって示した重い言葉です。

とはいえ、酒に逃げたいって思うことは多いよね~
でも酔いが覚めたとき、
「何も変わっちゃいないことに気がつく」んだよね…
かの清志郎さんも歌ってました。
(♪「いい事ばかりはありゃしない」より)

住吉神社
山口県下関市一の宮住吉1-11-1 TEL:083-256-2656
神功(じんぐう)皇后の創建と伝わる長門一の宮。国宝の本殿毛利元就造営の拝殿(重要文化財)などがあります。
また宝物館には、毛利元就及び元就の長男隆元、二男元春らの文書も多数所蔵されいます。

 





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Tag : 毛利元就 祭り 山口県 逸話 名言

中国地方の覇者 毛利元就の真実 【厳島神社で幻想的なお祭り「萬燈会」】

開催日:平成21年9月9日~9月11日


厳島神社大鳥居ライトアップ 

「萬燈会(まんとうえ)」は、
「宮島ローソクまつり」ともいわれ、大聖院の境内一円に、
供養物の一つであるろうそくや燈篭を灯し、
ミニコンサートを開いて世界平和を祈願するお祭りです。
大聖院の山門をくぐると98段の石段が続き、
その石段にもろうそくが灯され、幻想的な美しさに
包まれます。
(宮島観光公式サイトより)

毛利元就の厳島神社への厚い信仰は広く知られる
ところですが、当時荒廃していた神社の本殿を
現在のように改築したとのこと。
元就は13歳の時に初めて参詣し、
「天下の主となりますように」と願ったそうです。
その時、「安芸の国の国主に~」と願った家臣に対して
「最初から望みを高くもたねば、何も成し遂げられない」
みたいなことをさらっと言ってます。

 “でっかく生きようぜ”って感じでカッコイイですね~。
 私も今度は地元の神社に
 「ロト6で4億円をお願い」したいと思います!マジで。

厳島神社

広島県廿日市市 宮島・厳島神社(日本三景:世界文化遺産)


[ 萬燈会については… ]
宮島観光公式サイトまで
http://www.miyajima-wch.jp/

 

お得ツアー情報 萩・津和野・安芸の宮島と瀬戸内旅情3日間

東京~広島航空運賃、宿泊料金、朝2夕2の食事代込みで、

なんと3万円から!



 

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Tag : 毛利元就 祭り 逸話 名言 広島県

石田三成の名言・逸話

ある年の10月、毛利輝元から秀吉公に献上したいと大きくて見事な桃が届けられました。

旧暦の10月といえばすでに初冬。桃の時期ではありませんが、この時期には珍しい大きな桃を献上すれば秀吉は喜ぶことでしょう。 

しかし石田三成は、毛利家の使いの者に返してしまいました。
石田三成はその使いのものにこう言ったといいます 

「珍しいものであるから殿下は喜んで召し上がるでしょうが、万一病気になられることがあるかもしれませぬ。なるべく季節のものを献上されるのが良い」と。

現代は、季節外れで珍しいというのが好まれますが、旬の物と比べたら味も栄養分も数段落ちます。旬のものが一番美味しいんですね。

この逸話は、主君・秀吉に対する石田三成の気配り、誠実さを伝えるもので、忠実無比の家臣だったことが分かります。



次は有名な石田三成の名言

関ヶ原の戦いで敗れた石田三成は、即戦場を離れます。逃れた先の伊吹山で捕らえられ、六条河原の刑場に引かれていく途中、三成は警護の者に湯が飲みたいと願い出ます。

しかし、湯がなかったため、代わりに干し柿を渡すと「それは痰の毒になるからいらない」と断りました。
「これから首を刎ねられる者が、毒絶ちするとは稀代未聞のことよ」と警護の者が嘲笑うと、三成は毅然としてこう言いました。

「大義思ふ者は、仮令首を刎ねらるる期迄も命を大切にして、何卒本意を達せんと思ふ」 (明良洪範)
(大義を思う者は、首を刎ねられる最後の瞬間まで命を大事にして、なんとか本意を達しようと思うものだ)

石田三成は関ヶ原の戦いで敗戦後、自刃せず即戦場を離れました。これは命を惜しんだわけではなく、大坂に潜入し機を見て再挙をはかろうと考えたものといわれています。



戦国武将フィギュア/石田三成


トートバッグ石田三成
 

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Tag : 石田三成 逸話 名言 毛利輝元 羽柴秀吉 グッズ

真田幸村の名言

今週、真田幸村の特集をしているので、彼の名言をひとつ。
幸村ファンならずとも知られている、有名な言葉です。

天才軍師・真田幸村(本名:信繁)は関ヶ原の戦いを前に、父とともに豊臣方につきました。そして関ヶ原の戦い、大坂冬の陣などの戦闘において、幸村は目覚しい活躍で敵を何度も窮地に追い込みました。


その腕を見込んだ徳川家康は、信濃十万石を代償として幸村を誘います。
それに対して幸村はこう答えたと言います。

「一旦の約束の重きことを存じて較ぶれば、信濃一国は申すに及ばず、日本国を半分賜はるともひるがえしがたし」 (名将言行録)

つまり「信濃の国はおろか日本の半分を頂こうとも、約束した以上は考えは変わりません」 と、家康の誘いを一蹴したのです。

そして真田幸村は死を覚悟で夏の陣に臨み、家康本陣を大混乱に陥れるのです。

真田幸村は、戦になると勇猛果敢でしたが、普段は柔和で物静か、性格も表情もおだやかで、むやみに腹を立てたりすることがなかったといいます。


真田幸村ゆかりの地・史跡
真田幸村墓所 龍安寺大珠院 京都市右京区龍安寺
真田幸村墓所 高野山蓮華定院 和歌山県伊都郡高野町高野山

 


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Tag : 真田幸村 名言 逸話 グッズ 京都府 和歌山県 徳川家康

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