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伊達政宗、畠山義継を父・輝宗と共に討つ(今日は何の日)

10月8日 天正13年(1585)

伊達政宗の起こした事件(?)でよく知られる、
父・輝宗の銃殺です。
この時、政宗19歳。家督を継いでまだ1年経っていません。
父・銃殺の経緯は、過去記事を参照いただくとして・・・

過去記事 戦国武将物語 伊達政宗その1 伊達政宗その2


今回は畠山義継が伊達家へ降伏に至ったいきさつの辺りを。

二本松城の畠山義継は、天正13年(1585)5月、
伊達政宗が黒川城(会津)の芦名氏を攻めた時に、
芦名に味方して政宗を敗走に追い込ました。
また同年8月、政宗が小浜の大内定綱を攻めた時にも義継は、
会津の芦名と共に後ろから伊達軍を攻撃し、
政宗を窮地に追い込みました。


しかし政宗はこの戦で勝利し、小浜城の支城である
小手森城・城内の男女800人を殺戮します。
(小手森城の撫で斬り)


政宗の次の目標はもちろん、二本松の畠山義継。

しかし、苛烈無惨な政宗の仕置きに恐れた畠山義継は、
政宗の大叔父である伊達実元に泣きつきます。


「この義継、かつては輝宗殿のご奉公につかまつったこともあります。
事情があってやむなく一時は芦名や大内に味方しましたが、
伊達家に異心あってのことではありません」

全くの詭弁ですね。こんな道理が通るはずがありません。
畠山勢に2度もやられている政宗です。
「手のひらを返した戯言なり」(会津四家合孝)と一蹴します。

しかし隠居した伊達輝宗の仲介により、義継は命は助けられることと
なります。
その代わり、義継の領地のうち、その大部分、杉田川以南と
油井川以北を没収、世子の国王丸を人質に出せ、
という非常に
厳しい条件が出されたのです。

倒すか倒されるかの戦国の世、当然の仕置きです。
しかし命を助けられただけでも万々歳であり、
これを呑むほか生きる道は無いというのに、
どこまでも図々しい義継は、領地の半分は残してくれ、
と再び泣きついたといいます。

結局、政宗はこの義継の願いを受け入れることはありませんでした。

義継も仕方なく、この仕置きを受け入れるのですが、
仲介のお礼ということで伊達輝宗の宮森城を訪ね、帰り際に
輝宗を拉致し、駆けつけた政宗によって輝宗もろとも
銃殺されます。

天正13年10月8日のことでした。

伊達輝宗 享年42
畠山義継 享年33

二本松城(霞ヶ城・白旗城) 福島県二本松市郭内4丁目
黒川城(鶴ヶ城・会津若松城)福島県会津若松市追手町1-1
小浜城 福島県二本松市小浜字下館
小手森城 福島県二本松市針道字愛宕森

家紋ストラップ伊達政宗
(伊達家より家紋使用許可済み)
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テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 伊達政宗 逸話 福島県 畠山義継 大内定綱 伊達実元 伊達輝宗

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