ゆかりの地 都道府県検索 温泉特集 おすすめホテル・旅館(随時作成中) NEW戦国関連書籍
山梨ビデオ制作

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

伏見城陥落 松平家忠は討死 鳥居元忠は自刃(今日は何の日)

8月1日 慶長5年(1600)

豊臣秀吉没後、伏見城の徳川家康は、度重なる上洛命令に応じない、上杉景勝征伐のため、慶長5年6月、5万3千人の大軍で大阪城を出陣します。

軍事的空白を好機と見た石田三成 は反家康軍を挙兵
総大将は宇喜多秀家、副将は小早川秀秋、総勢4万人の大軍でした。

伏見城は、鳥居元忠を筆頭にわずか1800人。

西軍の大軍が伏見城を包囲、そして7月19日、銃撃戦から城攻めが始まります。
しかし城内の抵抗は凄まじく、郷を煮やした西軍は、城内の甲賀衆に内通の矢文を送ったといいます。
従わなければ、家族を磔にする・・・
甲賀衆はこの脅迫に応じ、伏見城内に火事を起こします。この裏切りによって支えきれなくなった鳥居元忠は8月1日、城内で自刃。松平家忠も討死。380名以上が自刃したといわれています。そしてさすがの名城・伏見城も落城しました。 

松平家忠、享年46、鳥居元忠、享年62でした。

その後、石田三成は美濃の石垣城に入り、毛利輝元は西軍の総帥として大坂城に。
徳川家康は、下野の小山で軍議を開き(小山会議)、上杉景勝征伐の中止を決定。
打倒三成のための勧誘・調略を始めるのです。

こうしてまもなく天下分け目の合戦、関ヶ原の戦いが始まります。


関連史跡
伏見城本丸跡 
京都府京都市伏見区桃山御陵 自由に散策はできません。
伏見桃山城
現在の伏見桃山城は、かつての伏見城のお花畑山荘に昭和39年再建されたものです。
※現在、入城はできないようです

関ヶ原の戦い後、家康により再建された伏見城は、破却後、京都の社寺や各城に移築されました。

伏見城遺構といわれるもの
二条城(天守台)、常寂光寺本堂、江戸城伏見櫓、福山城伏見櫓他、西本願寺唐門、豊国神社唐門、御香宮神社表門、他多数。

血天井
鳥居元忠らの遺骸は関ヶ原の戦いが終わるまで約2ヶ月間、伏見城に放置されたままだったそうです。
その血痕が縁側の板に染みつき、いくら拭いても落ちなくなったので、縁側からその板を外し、供養のため寺に移しました。その際、床を足で踏む床板にしては供養にならないからと、天井にして手厚く供養しているのだそうです。

血天井が見られる寺
養源院
京都市東山区七条通東大路西入ル三十三間堂廻り町656
源光庵
京都市北区鷹峯北鷹峯町47


京都へ観光の際はこちらがお得!

 

ポチっとお願いします。いつもありがとうございます。

スポンサーサイト

テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 松平家忠 鳥居元忠 京都府 徳川家康 石田三成 上杉景勝 宇喜多秀家 小早川秀秋 毛利輝元

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。