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木下藤吉郎結婚 伊達政宗誕生 豊臣秀頼誕生(今日は何の日)

8月3日 永禄4年(1561)
木下藤吉郎、浅野長勝の養女「祢(ね)」と結婚。

木下藤吉郎(豊臣秀吉)は24歳、
祢(ね)(ねね・おね・北政所)は14歳。

この結婚には、こんな逸話があります。
当時、秀吉は信長の足軽組頭をつとめていました。
その頃から秀吉は、浅野長勝の養女・ねねに心惹かれていたようです。
しかし、最初にねねに縁談の話を持ちかけたのは前田犬千代(前田利家)でした。
ところが、14歳のねねの返事は・・・
「ごめんなさい。私は犬千代さまより、藤吉郎さまの方が好きです」
落ち込む犬千代であったが、男らしくそのことを藤吉郎に告げます。
こうして、木下藤吉郎とねねは結ばれたといいます。


それから6年後の8月3日 永禄10(1567)年 
伊達政宗、陸奥国に誕生

米沢城主・伊達輝宗と義姫(最上義守の娘)の間に嫡男として生まれます。
幼名は梵天丸。梵天とは神が宿る幣束のこと。つまり梵天丸は神の化身という意味があります。
伊達政宗が生まれた永禄10年当時、
武田信玄46歳、織田信長33歳、豊臣秀吉30歳、徳川家康24歳でした。



8月3日 文禄2(1593)年
淀殿(羽柴秀吉側室)、大坂城二之丸において男子(拾丸:ひろいまる)を出産。

昨日のNHK「天地人」では、深キョン(淀殿)が、稚児を授かったことを比嘉愛未ちゃん(菊姫)と常盤貴子ちゃん(お船)に話していましたね。来週あたり生まれるのでしょうか?

拾丸は後の豊臣秀頼です。
秀吉の次男(一説には三男)として生まれました。兄の鶴松はすでに世になかったので、秀頼が事実上の後継者となります。


秀頼の誕生は、正室・ねね(北政所)と側室・茶々(淀殿)の確執を生みます。

ねねの結婚記念日と、茶々の子の誕生が同日。偶然というか因縁というか・・・


  

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Tag : 羽柴秀吉 豊臣秀頼 伊達政宗 ねね 北政所 茶々 淀殿

織田信長、淀城を攻略 岩成友通が討死(今日は何の日)

8月2日 元亀4・天正元年(1573)

岩成友通、織田信長の命を受けた細川藤孝(細川 幽斎)らとの淀城攻城戦に於いて討死した日

岩成友通は徹底して織田信長に激しく対立した戦国武将。三好三人衆のひとり。 

足利義昭の織田信長討伐に応じた岩成友通は、淀城(淀古城)に立て篭もります。
淀城には、岩成友通・番頭大炊頭・諏訪飛騨守の三将が立て篭もっていました。


しかしこのうち番頭・諏訪に対しては羽柴秀吉が内応を持ちかけ、承諾を取りつけることに成功していたのです。

 
織田信長は残る岩成友通を討つべく、細川幽斎らの軍勢を淀へ向かわせます。

織田勢が寄せると、岩成友通は城中から討って出て敵中へ切り込みます。

すると内通していた番頭・諏訪の両名がにわかに織田勢へ味方し、岩成は敵中に孤立してしまいます。


それでも岩成はなお並居る敵勢の中を切りまわりますが、やがて細川幽斎家中の下津権内に挑みかかられ、組討ちのすえついに首を落としたと伝えられています。


関連史跡 ゆかりの地
淀古城 京都府京都市伏見区淀納所付近
妙教寺境内に小さな「淀城」の石碑が建てられている。

1589(天正17)年 豊臣秀吉は側室淀殿が懐妊すると、弟秀長に命じて淀古城を修築します。
産所とするために修築された淀古城に入った茶々は、鶴松を出産しました。ここから、茶々は淀殿・淀君と呼ばれるようになりました。

 








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Tag : 織田信長 岩成友通 京都府 細川幽斎 茶々 淀殿

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