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羽柴秀次事件 その前後(今日は何の日)
9月3日 文禄4年(1595)
石田三成により、朝鮮に長期滞在中の島津忠恒ほか、龍造寺政家、鍋島直茂へ羽柴秀次事件に関して、羽柴秀吉「御朱印」が発給された旨、事件は落着したことが通達されました。
羽柴秀次事件とは、羽柴秀吉によって謀反の疑いをかけられた秀次が高野山で自害させられた事件のことです。
文禄4年の7月3日に羽柴秀次は、謀反の嫌疑で石田三成・増田長盛ら羽柴秀吉奉行衆より詰問を受けています。
そのわずか5日後、羽柴秀吉が、羽柴秀次を召喚し関白・左大臣の官職を剥奪。羽柴秀次は出家し、高野山へ追放されます。
そして7月15日、羽柴秀次は高野山において謀反の咎により自害しています。
その後、7月20に羽柴秀吉は、諸大名に豊臣秀頼に対する忠誠を誓わせる血判起請文を提出させています。
その起請文に署名した諸大名の名をあげると、
五大老、五奉行はもちろん、織田信雄・織田秀雄・小早川秀秋・徳川秀忠・織田秀信・細川忠興・前田利長・結城秀康・佐竹義宣・木下勝俊・京極高知・池田輝政・丹羽長重・堀秀治・稲葉貞通・筒井定次・森忠政・立花宗茂・島津義弘・里見義康・長宗我部元親・最上義光・井伊直政・前田利政・京極高知・長谷川秀一と名だたる武将の名前がずらり。
さらに8月2日には羽柴秀次の正室や側室等が、京都三条河原に於いて羽柴秀次首級を前に、処刑されています。
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