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長尾景虎(上杉謙信)出奔、家臣に説得され思いとどまる(今日は何の日)

8月17日 弘治2年(1556)
長尾景虎(上杉謙信)出奔、家臣に説得され思いとどまる

27歳の長尾景虎は、旧師の天室光育に「家臣たちの仲が悪く、言うことを聞いてくれない。国主の役目を果たしていけないので、やむを得ず隠退する」との書状を差し出し、僧のいでたちで早朝、春日山城をあとにします。

目指したのは比叡山とも高野山とも言われています。 

しかし8月17日、追いついた家臣たちに説得され、帰城を承諾します。

説得したのは、上杉景勝の父・長尾政景だったといいます。

弘治2年といえば、前年に武田信玄との「第2次・川中島の合戦」があり、翌年に「第3次・川中島の合戦」があります。 
もしこの時、春日山城に戻っていなければ、激戦となった「第4次・川中島の合戦」はなく、越後の龍・上杉謙信も歴史から消えていたことでしょう。
もちろん「信玄・謙信一騎討ちの像」もありません。 

この行動は本気だったのか? それとも家臣をひとつにさせるためのパフォーマンスだったのか?







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テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 上杉謙信 武田信玄 川中島の合戦 長尾政景 逸話

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