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羽柴秀吉(豊臣秀吉)、九州平定奏上のため上洛(今日は何の日)

7月25日 天正15(1587)年 今から422年前
 
羽柴秀吉による天下統一はカウントダウン状態でした。
羽柴秀吉が九州征伐のため約八万の軍勢を率い大坂城を発ったのは、天正15年3月1日のこと。 
九州征伐は、羽柴秀吉の朝鮮出兵に向けた力の誇示、パフォーマンスともいわれています。
毛利氏・大友氏と合流し、空前絶後、驚異とも言える動員兵力、総勢20万以上の征伐軍で進撃、島津軍を圧倒します。
羽柴秀吉本軍、黒田如水を軍師とした羽柴秀長軍の2軍で南下。
追い詰められた島津軍。
決戦か、降参か、賛否が分かれる中、島津義久の決断は早期に出された。
5月3日 
羽柴秀吉、薩摩国川内の泰平寺に本営を移す。
島津義久は僅かな従者と共に鹿児島を出発します。
5月6日
途中、伊集院に立ち寄り生母の墓参。
薩摩の守護大名・島津義久、御母堂御寺窓院にて剃髪し「龍伯」と改名。
5月8日 
島津義久、泰平寺において羽柴秀吉に無条件降伏して臣従を誓う。取り成しは佐々成政と堀左衛門佑(堀秀政)。
羽柴秀吉、島津義久へ羽柴秀吉自身が帯びていた腰物大小・御小袖を下賜。
旧領を総て安堵しその命も助けるという、前例を見ない沙汰でした。
 
島津は秀吉の戦力に組み込まれ、東側は最大級の驚異となりました。
秀吉は無傷で、島津は壊滅どころか強豪戦力保持のままで和睦。
そして伊達政宗は動かず、北条氏は絶体絶命となったのです。
 
7月14日 秀吉、大坂城に凱旋。
7月25日、九州平定奏上のため上洛
 
そして4日後の7月29日 参内して九州平定を奏上しています。
 
 
史跡・ゆかりの地 
島津義久が羽柴秀吉に会見した寺
医王山正智院泰平寺
鹿児島県薩摩川内市大小路町48-37  TEL:0996-22-4593
川内駅より車で約10分
 
降伏を記念する『和睦石』が住持宥印の墓と並んで境内に現存しています。
 
さらに、2002年に薩摩川内市教育委員会によって、泰平寺前の泰平寺公園に『秀吉・義久和睦の像』が建てられました。
毎年11月には薩摩川内市内で、秀吉の薩摩攻めから和睦までのシーンを再現する「川内はんや祭り」戦国絵巻が盛大に開催されます。
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テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 羽柴秀吉 祭り 島津義久 鹿児島県

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