ゆかりの地 都道府県検索 温泉特集 おすすめホテル・旅館(随時作成中) NEW戦国関連書籍
山梨ビデオ制作

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

佐々成政、越中国富山城を明け渡し、羽柴秀吉陣所に投降(今日は何の日)

8月26日 天正13年(1585)

佐々成政(さっさ なりまさ)は14歳で織田信長に仕え、朝倉氏討滅、長篠の戦い、石山本願寺の一向一揆攻撃に功績をあげ、天正3年、柴田勝家の与力となりました。
そして天正9年、富山54万石を与えられ、越前小丸城から越中富山城に移ります。

佐々成政の人生は、織田信長の死をきっかけに崩れていきます。

天正10年、織田信長が本能寺の変で自刃すると、佐々成政は柴田勝家に味方します。しかし賤ヶ岳の戦いで柴田勝家は敗れて自害。成政は徳川家康と結びます。
しかし、その家康は、小牧・長久手の戦いで政治的勝利を治めた秀吉に屈服してしまいます。
そして羽柴秀吉は、小牧・長久手の戦いで徳川方についた諸将への討伐を開始するのです。 

天正13年8月8日、佐々成政征伐のため、秀吉は自ら大軍を率いて京を出陣します。
8月17日には、前田利家が佐々成政に対する総攻撃のために長連龍らへ来援を要請しています。

越中に入った秀吉軍は要所を放火して周り、越後の上杉景勝も秀吉に呼応して出兵。富山城は10万もの大軍で包囲されてしまいます。

そして8月26日、ついに佐々成政は富山城を明け渡し、織田信雄を頼って羽柴秀吉陣所に投降します。この時、成政は剃髪して恭順を表したといいます。

秀吉は、成政のほとんどの所領を没収して富山城を破却、前田利長に与えます。
そして佐々成政は御伽衆(おとぎしゅう)として秀吉に仕えることになりました。


ちなみに佐々成政は、小牧・長久手の戦いのあと、家康を再び挙兵させて秀吉と対立させるため、あの有名な「さらさら越え」という暴挙に出ます。
敵の領地を避け、家康のいる浜松まで行く方法が、立山連峰を越えて信州に出るという無謀とも思える、厳冬の中の北アルプス横断だったのです。
(家康と会見したものの、結局願いは叶いませんでした)

 

ポチっとお願いします。とても励みになります。

スポンサーサイト

テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 佐々成政 織田信長 本能寺の変 小牧・長久手の戦い 羽柴秀吉 前田利家 徳川家康

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。