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森蘭丸がふるさとの地に甦る!【若獅子蘭丸2009】

織田信長の小姓・森蘭丸(森成利)の生誕地、岐阜県可児市兼山で10月18日(日)に戦国武者行列が開催されます。 

天正10年(1582)6月2日、森蘭丸が本能寺で最期を遂げてから

427年。
蘭丸をはじめとする森一族の武将・姫・槍隊・弓隊など、総勢60名による勇壮華麗な戦国絵巻行列が街中を練り歩きます。途中で繰り広げられる寸劇やパフォーマンスなど見どころ満載です !!

コースは、兼山本通りの蘭丸亭(12:00)から兼山振興事務所前~可成寺~貴船神社~兼山公民館(14:30)というコース。

寸劇は兼山振興事務所前(12:30頃)と、貴船神社(14:00頃)で行われます。

恒例となっているこの寸劇。今回は、蘭丸の兄・森長可にスポットを当てて、 「小牧・長久手の戦い」 を再現するといいます。

また、今回初登場の ゆるキャラ「のぶさま。」 にも注目 !!

(ネズミに見えるけど、ニホンオオカミがモチーフだそうです) 


若獅子蘭丸2009HPはこちら
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さて・・・
信長は数多くの小姓を身近に置いていたといい、信長の逆鱗に触れ、命を落とした者も少なくないといいます。その中で、森蘭丸は晩年の信長の、側近ナンバーワンの座にありました。
その森蘭丸の傑出した才覚を表す逸話がこちら。

ある日蘭丸は、多くの家臣がいる前で信長に「障子を開けたままにしてきてしまったので、閉めてこい」といわれました。蘭丸が行ってみると障子はきちんと閉められていました。

こんな時、あなたならどうしますが?
蘭丸は、障子を開け、ピシリと音を立てて閉めたといいます。

信長は大勢の者の前で「開けたままに」と言いました。
蘭丸が戻ってきて「閉まっていました」では、信長の思い違いになり、恥をかかせてしまいます。
そこで蘭丸は、一度開けて音を立てて閉めたのです。

もし、「閉まっていました」と言ったら・・・
「俺は開けたままにしてきた!ウソを申すな!」で、首を刎ねられていたのかも?

よく知られる逸話ですが、しかし私から言わせれば、このくらいの気遣いは、皆さん同様に私もやってきました。
上司が「黒」といえば、「白」も黒になる縦社会で育ちましたから。
「紙製の木箱」、「厚く薄切り」、
「キンキンに冷やしたホットコーヒー」などなど・・・

問い合わせ:蘭丸プロジェクツ
岐阜県可児市兼山701-1 兼山町商工会 内 TEL (0574) 59-2117

 

森蘭丸ゆかりの地・史跡

可児市兼山歴史民俗資料館 
岐阜県可児市兼山675-1 0574-59-2288
森一族に関する古文書など歴代の金山城主の資料を展示。
休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)祝日の翌日 12/26~1/5
 
金山城跡
森家代々の居城となった城。森蘭丸もここを居城としました。
天文6年(1537)に斉藤道山の養子斉藤大納言正義によって古城山の山頂に築かれた山城で烏峰城と名付けられました。
永禄8年(1565)に森可成が織田信長からこの城を賜りました。
標高277mの山頂からは東・中濃地区が見渡せます。
 
可成寺
森家の菩提寺。森可成、可行、可隆、長可、蘭丸、坊丸、力丸の供養墓があります。
非公開だが、寺宝として森可成愛用の硯、森長可の画像、長可の脛当などがあります。
元は金山城東の寺ケ峰にありました。
 
常照寺
森家家老の林長兵衛為忠(妙向尼弟)によって建立されました。蘭丸らの母妙向尼とその父の墓があります。蘭丸愛用の鑓の穂先・妙向尼の画像(2幅)ありますが非公開。複製を兼山歴史民俗資料館で見ることができます。
 
信長休み石
天正10年、武田攻めの際に兼山に宿泊した織田信長が森可成の墓参りの時に
座ったとされる石が可成寺跡地にあります。見つけるのに困難?

 



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森蘭丸 (PHP文庫) 著・八尋舜右

 

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Tag : 織田信長 森蘭丸 逸話 岐阜県

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