FC2ブログ
ゆかりの地 都道府県検索 温泉特集 おすすめホテル・旅館(随時作成中) NEW戦国関連書籍
山梨ビデオ制作

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

織田信長、比叡山延暦寺を焼き討ちする(今日は何の日)

9月12日 元亀2年(1571)
 
現在では、その焼き討ちの規模が疑問視されている、信長の比叡山の焼き討ち。
 
比叡山延暦寺を焼き討ちするとの信長の決意に、もっとも驚いたのは、反対したと伝わる明智光秀以上に、織田家家中の中でも教養のあるといわれる石田三成かもしれません。
古い経典も数多く宝蔵に蔵し、建物も日本の工学の粋を集めている。
しかし、それと同時に多くの僧兵を抱える軍事勢力でもありました。
三成は「僧のみを捕らえて斬り、山は残すように」と進言します。しかし、三成の進言は当然受け入れられることなく、三成も、自分を邪魔するものは惜しげもなく捨ててきた信長のことだから、これ以上反対すると自分の身に危険がある、と引いたといいます。
 
当時の延暦寺の様子は(「信長公記」によると)
「山門、山下の僧衆王城の鎮守たりといえども、業躰業法、出家の作法にも拘らず、天下の嘲弄をも恥じず、天道をも顧みず、淫乱、魚鳥を服用せしめ、金銀賄いにふけり、浅井、朝倉に贔屓せしめ、恣に相働く」だったそうです。
 
信長は焼き討ちの前年に、比叡山山門の衆徒を召し出し、織田勢への協力を求め、味方した際には分国中の山門領を元の通り還付すると、金打と朱印状で硬く誓約しています。(信長の一方的なやり方でしょうが。)
 
さらに一方への贔屓が無理な場合には、せめて中立を保つよう説得したといいます。その上でもしこれに違背して朝倉・浅井に肩入れした場合には、根本中堂・山王二十一社ことごとく焼き払うと宣告していたのです。
 
しかし、比叡山は行いを改めることもなく、また約束を果たさず、浅井・朝倉に協力したため、元亀2年の9月12日、織田信長は「残念ながらも(信長公記)聖域に馬を打ち入れ、焼き討ちとなりました。 
 
この時の信長の心中はいかに?

「残念だ」?「愉快だ」?「次の敵は・・・」?「今晩の飯は何だろう」?



ゆかりの地・史跡

 

比叡山延暦寺 滋賀県大津市坂本本町4220 077-578-0001(代表)

瑠璃堂 焼き討ちで唯一残ったと伝わるお堂(西塔)

比叡山・奥比叡ドライブウエイ割引券 http://www.hieizan.or.jp/dwticket.pdf



◆和室・風呂付◆世界文化遺産延暦寺境内にある、静かな環境と豊かな自然が自慢のお宿
【大満足飲み放題プラン】ビール・お酒・焼酎(芋・麦)・ウーロン茶・オレンジジュース120分飲み放題!


1クリックで1票、応援お願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

こちらもポチっとお願いします。とても励みになります。

スポンサーサイト

テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 織田信長 逸話 石田三成 明智光秀 滋賀県 浅井長政 朝倉義景

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。