FC2ブログ
ゆかりの地 都道府県検索 温泉特集 おすすめホテル・旅館(随時作成中) NEW戦国関連書籍
山梨ビデオ制作

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

石田三成 全財産を遣い果たし、一文無しで捕らえられる(今日は何の日)

9月21日 慶長5年(1600)

関ヶ原の戦いで西軍が総崩れとなり、石田三成が戦線を離脱したのは9月15日。6日後の9月21日、伊吹山中の洞窟に隠れていたところを、敵方の田中吉政配下の捜索隊に捕らえられました。
三成は逃亡中に稲の穂などを食べたため下痢がひどく、ほとんど動けない状態だったといいます。
田中吉政は以前、秀次の家臣で、秀次が切腹したときに、三成の働きにより連座を免れていました。
その吉政は、自ら山中まで三成を迎えて礼を尽くし、近くの村で数日間療養させてから家康のいる大津に護送しました。

その石田三成の居城・佐和山城を東軍が接収したところ、城中には一銭の蓄えも無かったといいます。

正義感は強く潔白な石田三成。
金銭の使い方はどうだったのでしょうか?

こんな逸話があります。
三成が側近に言った言葉。

「予は秀吉公の奉公人。奉公人は戴いた俸禄を主君のために有効に使い、少しも残すべきではない。残すのは盗人と同じ。しかし遣い過ぎて借金をするのは愚かなり」

その三成、関ヶ原の戦いの直前、増田長盛に窮状を訴えています。
「自分の手元にある金銭は全部使ってしまった。何とかならないか」

三成は、愚かだったのでしょうか?

しかし実際は、関ヶ原の戦いのとき、増田長盛は三成に金を貸すことはなく、西軍敗北の大きな要因になったといわれています。


1クリックで1票、応援お願いいたします。
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村

こちらもポチっとお願いします。とても励みになります。

スポンサーサイト

テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 石田三成 逸話

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。