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朝倉義景、浅井長政を救援するため1万5千余の軍勢を率い近江国小谷に到来、「高山」に布陣(今日は何の日)

7月29日 元亀3(1572)年  今から437年前のこと

7月27日にアップした今日は何の日「織田信長、浅井長政勢力下の2城を攻略(今日は何の日)」 の1年前の出来事です。

浅井・朝倉もまだ少し元気があります。

「高山」とは大獄城のことで、小谷山の山頂に築かれた小谷城の支城的な位置づけにあります。

元亀元年(1570)6月28日、姉川の戦いで織田・徳川連合軍に敗れた浅井長政は、同じ年9月に、石山本願寺攻めをする織田信長の隙を衝いて朝倉義景と共に坂本に出陣します。

そして織田家家臣の森可成の宇佐山城を攻め落とした後、織田軍と対峙し織田信長を窮地に追い込みますが、戦線が膠着し勅命により和議を結びます。

元亀2年(1571)9月比叡山を焼き討ちした織田信長は、翌元亀3年3月に小谷城を攻めますが一進一退で戦果を上げられず、三度軍を起こします。

この報を聞いた朝倉義景は、7月29日、浅井長政を救援するため1万5千余の軍勢を率いて大獄城に布陣します。

しかしここで悲劇。 浅見対馬守信の内通によって大嶽城の北にある焼尾砦に入った織田軍は、対馬守の手引きで朝倉軍の立て籠もる大嶽城をいとも簡単に攻め落とすのです。
織田軍は、続いて波多野玉泉坊が立て籠もる丁野山城を落とします

要害堅固で知られた小谷城が織田信長によって落城するのは、それから2年後の天正元年(1573)8月のことです。

そして浅井・朝倉は滅亡してしまうのです。


朝倉義景・浅井長政ゆかりの地・史跡
大獄城址 滋賀県東浅井郡湖北町伊部

小谷城址 滋賀県東浅井郡湖北町伊部
国指定史跡。城館址の平地や一部に石垣などが残すのみだが、登山道も整備されており案内板も要所に立ててある。

焼尾砦址 滋賀県伊香郡余呉町文室

丁野山城址 滋賀県東浅井郡湖北町丁野



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テーマ : 戦国時代 - ジャンル : 学問・文化・芸術

Tag : 織田信長浅井長政朝倉義景滋賀県

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