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武田信玄軍、木曾福島城を包囲 木曽義康、降伏し開城(今日は何の日)
8月21日 天文24年(1555)
天文24年3月、武田信玄は自ら兵を率いて松本に進出し、栗原左兵衛、足軽大将・多田淡路らに木曽へ侵入させ、薮原に布陣させます。
4月、武田軍は準備が整い、福島へ攻め込もうとしますが、越後の上杉謙信が川中島へ出陣するという情報が届きます。信玄は、薮原に栗原左兵衛、多田淡路らを残して、川中島へ向かいます。 (第2次川中島の戦い)
多田淡路ら武田軍は福島城を目指し進軍。
迎える木曽軍勢は地形の険峻な天然の要塞を利用し戦い、持久戦となりますが、8月21日、木曽家18代義康は木曽の安全を計り、和議を申し立て、福島城が開城されました。
木曽義康は娘の岩姫を人質として甲府に送り、信玄は三女を木曽義康の息子義昌の妻とし、西の防備を固めました。
その後、木曽氏は武田氏の親族衆として手厚くもてなされたといいます。
ゆかりの地・史跡
木曽福島城址 長野県木曽町福島5703
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